商売下手の看板屋さんのお話 序章

日進市・イラスト看板 商売下手の看板屋さんのお話

私が一番最初に看板屋さんに就職した頃は、単純なデザインの看板であれば、デザインはほぼ「お任せ」状態でした。
打ち合わせに行き、その場で紙にメモ書きする程度で打ち合わせしてオーダーを受け、いきなり看板を製作して、それを取り付けに行くわけです。

デザイナーさんや広告代理店さんからの発注の場合は図面がありましたが、地元のお客様では正式な図面がある方が珍しかったですね。

お客様は、どんな看板が出来上がってくるか、想像でしか知らないわけです。実物を見て喜んでくださるのは、とても痛快でした。

もちろん完成した看板を気に入って下さらないケースもありました。
稀に作り直しというケースもありましたが、「まあしょうがない」となるのがほとんどでした。

時代は、バブルが弾けた直後の事です。
不景気と言いながらもテクノロジーの進化は速く、バブルを直接味わうことがなかった私には、不景気の実感はほとんどなかったですね。バブルの4年間は、ちょうど私の大学4年間に相当します。

カッティングマシンは既にありましたが、会社の社長の方針で、細かい文字以外は手で書いてました。
特にバックのベタ色をシートをベタ貼りすることなど、まずありませんでした。ベタ色はペンキです。

20代の頃の私です

状況が変わり始めたのは、Windows95リリースあたりでしょうか。

デザイナーさんなど、ごく一部の人だけがMacを使っていた時代のことです。Windowsの普及によって世の中が一気にデジタル化していきました。 アドビ・イラストレーターのWindows版が出たのは、このもう少し後です。

21世紀になる直前にインターネットなるものが空前のブームとなりました。
一方で「バブル世代」「バブリー」などと呼ばれた世代は失脚。
当時、私が勤めていた会社もその波に飲まれ、私はフリーの職人として荒波に漕ぎ出すこととなるのです。

・・・と、まあ三文小説の書き出しのような感じで始まった「商売下手の看板屋さんのお話」というカテゴリー。

いまのところ、業界の昔話や私が携わった過去の仕事、デジタル化の荒波に流されていく様をご紹介できればと思っております。
歳を食ってくると、人生の走馬灯が回るようになるんです笑

決して成功ストーリーではありません。
看板屋業界はデジタルなのか、アナログなのか。
果たして職人はみんなデジタルが苦手なのか。

私が、のたうち回るお話の始まりです。

日進市名古屋市の看板のことなら、デザインから製作・施工までお任せください。

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