トーゴーアートの思い出②

商売下手の看板屋さんのお話

トーゴーアートの石原社長の事は、当時を知る人たちの間で、いまだに語り草になることが多いです。
様々な伝説を残して評判が悪かったというか笑

独特の雰囲気の方だったので、当時は「あんたのとこの社長はアカン」みたいなことを、客先でよく言われました笑

私からすると、石原社長とはバカ話や、今後のビジョンなど腹を割った話ができていたので、皆さんの印象とはかなり違います。

どこか宇宙人的な人だと言われてましたが、実際には人間らしい部分も多く、かなり人の気持ちを考える人だったと思います。

ある日曜日に、某一流ホテルの宴会場で、パーティーの看板の仕事があり、社長と二人で設置しました。

設置作業はすぐに終わり、パーティー終了後に撤去しなければなりません。

一度現場を離れてまた来るのも面倒だという事で、ホテルの隣のオープンラウンジ的な店で、ビールを飲み始めました笑

なかなか時間がすぎないので、社長はカラオケに行こうと言い出しました。

カラオケ店に入り、社長は言いました。

「男二人でカラオケしても面白くない。女の子をナンパするぞ」と。

え?作業服ですよ笑

さすがにこれで女性に声をかけるのもどうかということで、私は否定しました。

ところが社長は「ちょうどいい二人組が来た!」と本当に声を掛けに行きました。

なんと、ナンパ成功!!笑
その日は楽しく過ごして、後日。その女の子の一人から、私あてに会社に電話がかかってきました。カラオケの時に名刺を渡したんです。
ところが、電話を取った事務員さん(工場長派)が意地悪して取り次がず、それっきりになりました。結構好みの女性だったんですけどね。携帯電話が無かった時代の話です。電話が繋がっていれば、違う今があったかもしれません笑

石原社長はとても頭が良い方でしたが、仕事の進め方はヘタクソでしたね笑ゴメンチャイ
良い仕事をしてお客さんに喜んでもらおうという発想に乏しく、安く作って高く売ることばかり考えていました。
これは確かに商売の基本ではありますが、実体のないものは必ず最後は崩れます。

いわゆるバブリーってやつです。

社長は、仕事をするうえで見栄を張るのが第一目的のように見えました。

カッティングマシンも中途半端なサイズのものしか導入しませんでした。
インクジェットの「イ」の字もない頃に大型プリンターを探してきて導入・・・したのはよいのですが、サイズは600巾しかなく、画素数が荒すぎ、専用の糊無しのロールペーパーにしか印刷できない。
仕事では全く使い物になりませんでした。社長はそこら中に電話して、プリンターを自慢してました笑
文字を書く技術や、大きなシートを加工して貼る技術が無くても、いずれは仕事ができる時代になる・・・という先見の明があったのは確かです。

有名店やブランドの看板の仕事など、ちょっと自慢できそうな仕事が入ると、すぐに外注に出しました笑
これも私は、見栄を張りたいだけだろうと思っていました。

地に足をついた仕事をしていれば、もっと異なる未来があったでしょう。
自社で仕事をこなせば、身入りも増えるし技術も付きます。しかし、自身が動こうという発想はあまり持っていなかったように思います。設備投資好きだった割に、意外と新しいことにチャレンジしようとはしなかったかな。

社長は99年の5月頭に亡くなりました。
私はできる限りやり切った上で9月頃に退職する予定でしたが、色々あって7月一杯で辞めました。

この時に、すぐに独立する案もあったのですが、社長に申し訳ない気がして、迷っていました。
最終的に、シンヨーネオン電気さんの先代社長さんに、「もう一件看板屋さんに勤めてみるといいぞ」と言われ、なるほどそうしてみるかと決めました。

自宅から通うのに都合の良い看板屋さん3社ほどに自分を売り込み(社員募集してなくても関係無え!私にはそれ以上の価値がある)、内定もいただいたのですが、ちょうどそのころに1人のお客さんから、別の看板屋さんを紹介されました。

ぜひとも来てくださいと言われるので、そこまで言ってもらえるような会社なら、幸せに働けるかな、と思いまして、決めました。

これがまた、とんでもなく衝撃的な看板屋さんだったのですが、次回に続きます笑