書文字。
まず最初に、この事を書かないわけにはいかないでしょう。
私が看板屋さんに就職した時は、すでにカッティングマシンが一般化していました。
カッティングマシンなるものは雑誌で紹介されたりしており、私もそれがどういうものか知っておりました。ですので、看板屋さんに就職してカッティングマシンに触れるというのは、当初からの憧れでもあったのです。
私の入社に合わせるような形で会社が導入したのが、近畿システムサービス(株)さんのカッティングソフトでした。HPを見る限り、今では同様のソフトは扱っていないようですね。
便利なOSがない頃の話ですから、パソコンのスイッチを入れると、そのままカッティングソフトが立ち上がってました。
現在はデータ互換の問題もあって、AdobeIllustratorで作業するのが一般的です。カッティング専用の業務ソフトを使っている看板屋さんは、今ではほぼ皆無ではないでしょうか。
みんな誰でも、ステッカーやシールが好きですよね?
カッティングマシンって、自分でパソコンとプロッターを操作して、切文字のステッカーが作れるんです。これは面白い!
会社で仕事しているだけでは物足りず、カッティングシートの端材を自宅に持ち帰り、休日も手作業で切り貼りしていました。
さて。
会社には、この地区では名のあった書文字の職人、Nさんが出入りしていました。
Nさんはご自身の仕事に誇りを持っており、ご自身の書文字という仕事がカッティングに奪われているということが気に入らない様子でした。
Nさんは私の顔を見るたびに言いました。
「あんたらのやってるカッティングは誰にもできるが、私がやっている書き文字は、あんたらにはできん。特にあの筆文字はなんだ。あれは筆文字じゃない。」
Nさんの言われる意味は分かりました。でも、私には違和感がありました。
私はNさんに言いました。
「確かにカッティングは誰でもできますが、字割りや適切な文字サイズの選択、スペーシングなどは、基本を知らなければできません。Nさんもカッティングをやられてはどうですか? 質の高い仕事ができると思います。」
ところがNさんの答えは、「そんなものは全くやるつもりがない」というものでした。
この時に私が考えたのは、それならば自分が書文字もカッティングもできる人間になろう、ということです。
社長は「今後はカッティングが主流になるから、書文字は必ずしもやる必要はない」と言っていました。
その一方で、書文字はコストが低いし、仕事をする上での底力になる、といった事も言われていました。
ところが誰かが書文字を手とり足とり教えてくれるわけでもなく、独学をすることにしたのです。
Nさんはイラストやロゴマークを書くのが苦手で、逆にそれらが得意だった私は、良くNさんと組んで仕事をしました。
写真は、Nさんが細かい文字を書き、私が見出しをカッティング、そしてイラストを手描きした当時の写真です。
こんなのは今のイラストレーターとインクジェットプリンターなら大した仕事ではありませんが(まあ、絵は直接手で描いたほうが速いですね)、当時はパソコンの動きも遅く、大変でした。
私はNさんを煽てて、色々な技を教えてもらいました。
といっても基本的な部分は独学です。仕事でも失敗したり、とても恥ずかしい思い、悔しい思いをしたこともあります。
私が独立して自分で仕事を請け負うようになり、ある時、書文字の仕事が一杯になって困ってしまいました。
そこで私は久しぶりにNさんに電話をしてみました。
電話の向こうのNさんの声は、以前のような張りがありませんでした。
書文字の仕事が激減し、塗装屋さんに職人として入っているとのこと。穴は空けられないので、力にはなれないというものでした。
古い技術に誇りを持つのは大事ですし、新しい技術に乗り換えるのも大切な判断です。
しかし、両方できればそれ以上の事はありません。
書文字というアナログ作業にもかかわらず、AIデータがメールで送られてくるような世の中なのです。
日進市・名古屋市の看板は、弊社にご用命ください。デザインから製作・施工まで、少数精鋭で一貫して行います。
書文字など職人が減ってしまった技術も、今でも保有しております。