看板屋の職業倫理

看板職人の徒然

「職業倫理」とは、その道のプロに求められる倫理のことです。
幅広い意味合いを持つと思いますが、ここでは、「お医者さんが休日に街中で急病人を見かけて、率先して動いて救助をした」「警察官が飲酒運転をすると、一般の人が飲酒運転するよりも重く扱われる」みたいな感じのことをお話しします。


それでは、看板屋さんに求められる職業倫理ってどういったことでしょうか?
私が最も上位に来るであろうと考える看板屋さんの職業倫理は、「著しく見栄えが悪い看板を製作取付しないこと」だと思っています。
看板に最も求められる要素は、「見た目」です。「見た目」という要素には、デザイン性の高さであるとか、視認性が良いとか訴求力が高いとか、色々あると思うんですが、ここではもっと基本的な部分の話です。

看板屋さんを長く営んでいると、「ウソォ!?」と言いたくなるような要望をされることがあるんですよ。
その中でもちょくちょくあって困るのが、全くの素人状態のデザインを、「そのまま拡大して看板にしてくれ」というものです。
無茶な施工を強要されそうになっても、看板が倒れてしまうかもとか、落っこちてしまうかもというのは説明する方法があります。法律で禁止されている看板も、説明できます。しかし、美的な部分についてはロジカルな説明ができません。
デザインの好みとかそういうことを言ってるのではありませんよ。明らかに変な物・・・例えば下手くそな字やイラストを、そのまま拡大しろというレベルの話です。

最近はどなたもパソコンを使われるので、ご自身で制作されたデザインを持ち込む方は多いです。
ほとんどの場合はそれを参考に、こちらで正式なデザインを作ります。まれにセンスの良い方が作られたものだと、そのまま使っても大丈夫だったりします。

ところがですね。デザイン代をケチりたいのか何なのか分かりませんが、ホントにそのまま拡大しろって方がいらっしゃるんですよ。
手直ししたデザインを見て「こちらから送ったデザインにしてくれ」と。

大変申し訳ないのですが、そう言われるという事は、美的センスが無いということです。その方にいくら説明しても、分かっていただけない。

私はハッキリ言って、仕事の選り好みがかなり激しいですが、少々品が無いデザインや、酷いなぁと思ったデザインでも、一定のライン以上にあれば目を瞑ってお引き受けしています。
やはり継続したお付き合いをさせていただいているお客様ですと断りにくいですし、仕事が欲しいのも事実です。
サイズが小さいもの、それほど人目に触れないであろうものなどは、修正せずにそのまま製作してしまうこともあります。リスクが低いですからね。
ただし、それが自分の仕事とは認めたくないため、写真も撮らないですし、こちらのブログで施工事例としてご紹介することは1000%ありません。

そうして合格ラインは下げているのですが、ある一定のラインを下回ると、どうしても我慢できない。
10倍の価格でも、絶対に引き受けません。
高いところに設置する看板ですとプロしかできず、簡単に改修できません。多くの人の目に触れることになります。明らかに変なデザインは、プロじゃなくても変だと分かります。自分が手掛けた仕事が、自分が知らないところで「あの看板は誰が作ったの?」とか嘲笑われるわけです。毎日その看板を目にする人たちの迷惑になるわけです。

看板を新しく作る際に、お金を出すのはお客様です。決定権もお客様にあります。でも、「看板を使う人」はお客様だけではありません。付近を通行する第三者も看板を見るんですよ。看板は、本質的にはお金を払うお客様の自己満のためにあるのではなく、通りがかって看板を見る人のためにあるものです。看板を作る際に、客観的な見方をすることは、絶対の条件です。

仕事としては一見、建築関係に似ていますが、決定的に異なる部分がここなんです。

そういった要望を、全くの素人さんが言うならば、話としては分からんわけでもないんですわ。
もっと酷いのは、看板の仕事に携わる人がそういう要望をしてくることです。
「お客さんからの要望」とか、「お客さんからOKをもらった」とか。
そんじゃぁアンタは、看板を裏返しに取り付けろって言われたら、引き受けるんか? 逆さまに取り付けろって言われたら引き受けるんか?(表現上必然性があれば別です・・・何でも貸しますとか笑)
お客さんに死ねと言われたら死ぬんか?

某自動車メーカーの不正と同じことです。美的感覚は数字に表せるものではありませんが、合格点に達していないものは世の中に出せません。

看板屋さんは、物理的に看板を作る技術職ではありません。設備や肉体的労働で物を作る製造業でもありません。美的センスや判断力を求められる技能職なんですよ。クリエイティブ職なんです。
この意味が分からない人は、看板の仕事に携わる資格がない。