最初に勤めた看板屋さん、トーゴーアートの思い出①

商売下手の看板屋さんのお話

私は元々は芸術家になりたかったのですが、歳を追うにつれて現実的なことも考えるようになりました。
てか、バイクやクルマが好きだったので、それなりのお金が欲しかったんですね笑

あと、家族願望や、人並みの生活をしたいという思いは強かったように思います。

私は、バイト経験が色々ありまして。
中古車屋さん。某ハンバーガー屋さん。中学生用の教材のセールスマン。美術館のガードマン。家庭教師。バイク屋さん。結婚式場の生演奏。
(これらはウソはありませんが、過去の黒歴史を隠すために若干、表現を変えてあります笑)

バイトの経験で、「自分は接客やセールスは苦手ながらも、少しはできる」とは分かりました。商社のようなところで、ビジネス然とした仕事もそこそここなせる自信もありました。しかし、本質的になにをしたいのか突き詰めると、自分がアイデアを出したり、直接手を動かすことがしたいと思ったんですね。

要するに、クリエイティブな職に就きたいな、と。

色々考えたんですが、当時バイク雑誌を読んで知っていた「カッティングマシン」や、レーシングカーのマーキングに憧れて、看板屋さんに興味を持ちました。
美的センスや、絵や工作のセンス、手先が器用な事、そしてアイデアが生かせるだろうと思いました。

しかも、あまり大きくない会社がいいな、と。

理由の一つは、知識欲や好奇心が旺盛だったので、決められた担当の範囲の仕事だけでは、自分は満足できないだろうということ。
もう一つは、小さな会社の方が、出世が早いだろうと思ったのです。従業員数が何十人、何百何千といる会社では、いくら頑張っても上に上がるのは一苦労です。人の上に立ちたいというわけではありません。ある程度の裁量を持っていた方が、仕事が楽しいだろうという意味です。

それと、この時には既に自分で、私という人間は大組織ではやっていけない性格だと分かってたんですね。

で、働かせていただけることになったのが、当時東郷町にあった看板屋さん、株式会社トーゴーアートでした。現在は廃業しています。

仕事は面白かったんですが、いきなり工場長にイビられるという洗礼を受けました笑

入社していきなりでしたから、そもそも理由なく私のことが気に食わなかったのでしょう。また、この時すでに、社長と工場長は仲が悪かったんですね。この影響も大きかったと思います。

もちろん私にも原因はあったように思います。

かなり生意気なヤツだったと思いますし、黙って上司の言う事を聞くようなタイプではありません。疑問を感じたら意見を述べたり、自分なりに調べたり、質問をしたりするタイプです。
頭が固い人に好かれるタイプじゃあないんです。

そもそも私は、「早く出世してやる!」という野心を持って入社したわけです。出る杭は打たれるってやつでしょう.。私からすれば、負けて悔しいのならば、自分も頑張れば良いと思うのですが···
まぁ、小さな会社のことですから、それまで取れていたバランスが、私が入社したことで崩れてしまったのでしょうね。


工場長は、私とはろくに口を利かなかった割に(最初から無視された笑)、自分にとって有益な人には、やたらフレンドリーでした。私のあとに入社した、私と同じ歳の業界経験者には、最初から擦り寄って行きました。「さん」付けで呼んでましたよ笑
私からしますと、やはり向こうに問題があったのではないかなぁ、と。
職人の世界では、新参者を叩いたり、学歴がある人を「あいつは勉強はできるだけで、仕事は何にもできない」と悪口を言うのは昔からの常です。

私もなまじ学歴がありましたので、要するに気に入らなかったのでしょう。

工場長は得意先で私と社長の悪口を言い回るものですから笑、客先ではちょいちょい苦労しましたよ。

この頃は某コンビニの仕事で工場長たちが毎日出かけてしまうこともあり、新人の私に、無茶と言える押し付けが多かったです。

入社して間もない頃に、厚手のトタンを張った900×4500の看板(一人でどうにか持ち上がるくらい)を一人で取り付けてこい、と言われて、作業中に軒先から看板を落下させたりしながら、何とか取り付けました。
今だったら知恵がついてるので、普通にやってくるのでしょうけれど・・・。
安心して気が抜けたのか、帰り際に3kg缶のペンキを引っくり返し、ペンキを道路にぶちまけました笑

協力業者さんが入る大型スーパーの現場に、監督兼客先との顔つなぎのために担当を任され、工期中は連日現場に入りました。
このお客さんが厳しい方だったので、みんな現場に入るのを嫌がったのでしょう。
私は知識も技術もない頃のこと。ものすげぇ雑な仕事をする協力業者さんと、厳しいお客さんの間に挟まれて、苦労しました。まぁこれは修行の一環なので良いのですが、帰社して分からないことを工場長に聞いたら、「ぜーんぶお前に任せたから」と逃げられました。そのくせ後日、「お客さんに文句を言われたぞ!」と怒られました笑

あと、「お前が4tユニックに乗るようになってから、走っている時に変な音がするようになった」と言いがかりをつけられました笑 これは結構長い間、ネチネチと言い続けられました。知らんがな笑

言い返してもしょうがないと思って、あまり反論したことはなかったですね。今となってはどうでもいいですけど笑

その一方で、社長には多分に目を掛けていただきました。まぁ、これが余計に、社長と仲が悪かった工場長の神経を刺激したのでしょう。

社内でも陰で私の悪口を言いまくり、社員全員を巻き込んで社内の人間関係は最悪になりました。私が辞めれば済むことならと、一度は退職を申し出ました。

すると、社長がおっしゃいました。

「他の社員が全員辞めても、君一人を取る」と。

そして、私が身の振り方を考える間もないうちに、工場長は辞めて独立されました。
結局のところ、私がどうこういう以前の問題で、以前からそういう計画だったようです。

今更時効なんで、色々とぶちまけて書いちゃいましたけど、社長には大変感謝しています。

これは、トーゴーアート在職当時に行われた、わかしゃち国体のスタッフジャンバーです。いまだに持ってるんですよ笑
あいち池で漕艇競技会が開催され、トーゴーアートで会場&周辺の看板一式を製作施工。
会期中、私はスタッフテントで現場に常駐しました。

東郷町役場にこれ着て行ったら、ウケるかも笑